翻訳会社とくどい文章
例えば、英文の書籍を日本語の書籍に翻訳する際には、言葉の選び方などは、翻訳会社や翻訳家のセンスに任される事になります。
そして、その時に、あまりにもくどい表現方法は好まれないという事を覚えておいてください。
文書に味をつける為にわざと行っているのならば構わないでしょうが、自分でも気付かない内にくどい表現になってしまっている方も多々いますので、気をつけて下さい。
例えば、「私の出身地の田舎は、素朴な人達であふれ、獣達も山々の中でのんびりと過ごし、木々達も豊かに成長をしている」の様な文章は、どこかくどく感じませんか。
いくら直訳だったとしても、日本語としていらない部分で、話しの本筋にも関係がないのであればシェイプするのも手であります。
上記の文ならば、「私の出身地は、山で囲まれた田舎だが、人々や獣さえも素朴に生活をし、木が大きく成長できる様な環境にある」くらいの訳し方であれば許容範囲であると思います。
細かい部分ですが、「達」の様な言葉を頻繁に使用してしまうと、くどく感じてしまう部分でもあるので、減らせる所があるなら減らす事を意識すると良いかもしれません。
登場人物の会話に注意
小説の様な文献の中では、登場人物同士の会話が必ずと言って良いほど出て来ると思います。
その様なセリフの扱いは、翻訳会社や翻訳家のセンスが問われる所であります。
例えば、「その夜に、ジョンソン夫妻は重い会話をしていた「一体どうすればいいんだ」との問いかけに妻が答えた「決まっているじゃない、隠し通すのよ」「そんな事言ったっておまえ、隠せると思うのか」声を荒げていると、表で車の止める音に気がついた「こんな時間に誰?」」の様な一文があるとします。
この会話からは、夫婦が何かしらの隠しごとをしている事が読み取れますが、夫と妻と語りべがいる事に気がついたでしょうか。
この語りべはストーリーテラーであるのですが、始めの語りでは、「との問いかけに妻が答えた」とありますが、後の文章では「声を荒げていると、表で車の止める音に気がついた」の様に、誰が車の音に気がついているかをはっきりとさせていません。
この様に、会話をしている時には、誰がどのセリフを話しているかをはっきりさせなければなりませんが、男女の会話の様にどちらが話しているかがはっきりしている時は、心境の変化などを語るだけで、どちらがはなしたなどの説明は不要かもしれません。