翻訳会社と曖昧な表現
翻訳の難しさとして、曖昧な表現をどう扱うかが挙げられると思います。
例えば、「貴方が持っているのはなんですか」という文ならば、この文だけでは問いかけられている人間の所持品の事を指しているのか、問いかけられている人間が実際に手に何かを握っているかなどの詳細がわかりません。
しかし、立場によってはその様な事を明確にてくれる場面もあるのです。
「貴様、何をもっている」の様な言葉ならば、警察官が不審者に対して緊急に問いかけているのかを想像する事が出来ますし、「持っている物を調べさせて貰うよ」という問いかけならば、身体検査をしようとしていると推測する事ができます。
更には、もっと直接的で分かりやすいのは「貴様、何を握っている」や「所持品を調べさせて貰うよ」の様な言葉ならば、どちらの意味であるかは明らかだと思います。
ですから、翻訳会社や翻訳家は、「持っている」などの曖昧な表現はなるべく避け、上記の様な、「握っている」や、「所持している」の様な、分かりやすい翻訳を目指すべきだと言えます。
この様な事を考えると、翻訳で大切な事は直訳に拘る事ではなく、如何に読者に分かりやすくする事だと言えるのではないでしょうか。
いくつかの意味を持つ言葉
一つの言葉でいくつかの意味をもつ言葉というのは多様に存在していますし、その様な言葉は翻訳会社泣かせだといえるのではないでしょうか。
例えば、「私は楽しい」という言葉ならば、楽しい気分である事と、自分自身が楽しい(おもしろい)人間であるとアピールしている表現ともとる事ができます。
後者の例えは、少々無理があるかもしれませんが、少々無茶であっても、その様に取れる言葉であるならば、その様にとってしまう人物がいる可能性を示唆しています。
翻訳とは、万人に理解できるものを目指すべきであり、直訳であろうと上記の様な。
「私は楽しい」の様な表現方法は避けて、「私は楽しい気分だ」や、「私は面白い人間だと自負している」の様に、勘違いが生まれようもない表現を心がけるべきであります。
私個人としては、翻訳とは、この様な直訳を理解出来やすい様に訳す事を指すのであり、言葉通りに直訳するのは、ただの和訳であると感じています。
最近では著名な小説家などが、海外の有名な小説の翻訳に挑戦している事もありますが、それは、翻訳家毎に違った翻訳の仕方や解釈の仕方があるからであり、和訳だけをしていれば良いのであれば、翻訳家や翻訳会社は必要のない物となってしまうでしょう。